カンボジア~番外編 コークドーン村ってどんな村?~
- ayasai2010
- 2014年5月31日
- 読了時間: 4分
こんにちは!彩祭メンバーの佐藤(寿)です!
彩祭が2013年の夏から継続支援を開始したコークドーン村を紹介します!
日本からカンボジアのシェムリアップという都市まで、7時間、、そこから車で2時間ほど行ったところにある村です。ホテルからの道中のバスの中からみカン ボジアの町並みは驚くべきものでした。
都市のシェムリアップからコークドーン村に近づいていくに連れ、家も現代的なものから高床式の伝統的な家へ変わってるように感じました。
道の舗装がなくなり、アトラクションに乗っているかのような揺れに襲われました。メンバーそれぞれ、楽しみや不安様々な気持ちが交差して、到着を待ち侘びていました。 赤い、ごつごつの舗装されていない道を2時間かけてやっとついた村。 数人の村人の人たちが出迎えてくれました。半分好奇心、半分恐怖心のような顔の子どもたちの顔を忘れられません。
私たちはこの村でこれまでに紹介してきた衛生・体育・調査のプロジェクトを行って来ました。 私はこの村を訪れてたくさんの事を学びました。私が一方的に感じたことですが紹介したいと思います。
まず、生きる事、生活することの奇跡を感じました。たくさんの奇跡が重なって今の生活があるんだな、こんな平凡な日々だけど感謝の心を忘れないようにしないと、、私は人と接するのを避けてしまうところがありました。けど人と接する楽しさ、嬉しさ。人の温かさを村で感じ、こんな風に私と接した人が楽しいとか 嬉しいとか感じてくれたら嬉しいな、感じたいなと思わせてくれました。
また、言葉が会話のツールであるという事を認識しました。言葉なんかなくても感じる 事はたくさんあって、笑顔の持つ力を感じました。一人の笑顔が何人もの人の笑顔を生む。異国だからって思うかも知れないけれど、日常だって一人が幸せだっ たら周りの人も幸せになるし、幸せの連鎖、笑顔の連鎖を信じたくなりました。
村の人の瞳はキラキラしていました。興味関心の高さ、未来への希望をひしひしと感じました。未来は無限だ。当たり前だけど、感じないようにしている私がいる事を知りました。 知識を持っていることの重要性を感じました。知識がなければ、概念も得られない。救えるものも救えない、思う以上に知らないって怖い事だと感じました
一方で、私の知識への依存度の高さを感じました。知識は人間が造り出してきたものであって、村人が本能的に行ってる行為の方が現地の人には合っている可能 性もある。現場の医療的な。知識に対して疑いの目を向けてこなかった自分が少し怖くなった反面、物事を知識の塊として認識し、考えずにその知識を使って 日々を過ごしていたのかな。言葉に囚われて生活していたんだな、自分の考え狭いな。 もっと関心をもって過ごしてみよう!と思いました。
村人は幸せに生きているように感じました。でもそれは私からしたら幸せには見えませんでした。
自分は今の生活に不満不安しかありません。自分の知らない幸せの形を知ることで自分の中にある幸せの概念の幅を広げて、自分も幸せになりたいな、と思いました。
最後の村人との別れ。 子どもや親との別れが恋しかったです。たった2日の訪問でしたが、仲良くなれて、これから一生会えないかもしれないけれど、大切な事を私に教えてくれた大切な人たちになりました。 そんな人たちに私にできる事をしたい!と心から思っています。
私が教えてもらった以上のものを村人たちに還元するだてでなく、村での気付きを私の大切な人に伝えていきたいと思います。 「人と出会う」こんなに素敵な事に気づかせてくれた彼ら、カンボジアという国自体に興味があった訳じゃないけど私を彩祭に出会わせてくれたメンバー に感謝しています。
一期一会、何となく知っていたけれど深く意味を考えなかった。今ならわかる気がします。周りにいる人たちの事を大切に、日々起こる出会 いを大切に…